≪中学3年生 ”HMR誕生”≫
1994.春 中学3年生に皆無事昇級。
私は、幸か不幸かメンバーとは誰とも一緒にならず、斎藤とダイシが同じクラスに。
そして神の悪戯で、ファル・福田・ハンマー・マナブが同じクラスに。
今思えば、どう考えてもファル達のクラスは、意図的にイタズラっ子を集結させた、
「隔離クラス」であった事は、別棟である事、クラスの面子、等を考えると確信の事実だった。
≪背景補足≫
このクラス分けにより、斎藤が少々HMRから離れ気味に。別グループとの行動が多くなる。
ファル・福田は1週間前後で、当然のようにクラスの問題児扱いを受けるようになる。
1994.夏休み ファル・福田に誘われ、初めてのハンマー家訪問。
「す〜ぱ〜ぷよぷよ」「スーパーファイアープロレスリング」で超盛り上がる。
以後、事ある毎に集まっては、ぷよぷよ100連戦やプロレス座談会が行われるようになる。
1994.夏後半 少年マガジンに連載されていた「MMR」に、隔離クラスのメンバー全員がハマる。
これを機に、隔離クラスメンバーが勢いで、「HMR」という団体の設立を宣言。
活動内容は、この時は特に決まっておらず、中学生なりに普通にバカやってました。
「HMR」の名前の由来は、当然「MMR」から。Hは住んでる地名の「広田」の頭文字。
MMR(マガジン・ミステリー・ルポルタージュ)の様な立派な意味は特に無し。
私は、HMRは(広田っ子・ミステリー・ルポルタージュ)だと当時は納得していた。
しかし、ハンマー・ファルがそれを否定。「もっと違う意味じゃ、ボケっ!」と逆ギレされ、
そのまま正式な回答は帰って来ず。「HMR」がどう言う意味なのかは詳細不明で処理された。
これにより、数年をかけて「HMR」の意味について討論が行わなければならなくなった。
まあ、何はともあれ 「HMR」 の誕生である。
≪背景補足≫
現在もなお「HMR」の名前の意味は未決定。
1994.9月初 2学期の初め、係や委員を決める為の学級会が隔離クラスで開かれた。
メンバー4人は、仕事が楽で、好き放題やれる、「図書係」を熱望し、それに全員が無事就任。
HMRが、図書係の仕事である「図書新聞」を作成する事に熱中し始める。
新聞の内容は、図書新聞なのに何故か、「みんなが楽しく読める」をモットーとしており、
紙面は、ほぼHMRメンバーの興味ある記事で埋められ、「週刊芸能誌」の様な方向性。
肝心の本の紹介は、女子達がほんの少し残されたスペースに書きこむ程度だった。
そんなこんなで、HMRの横暴さが世間に滲み出てきた時期である。
≪背景補足≫
図書係には、女子も数名ほどいたが、イニシアチブは、やはり男子側(HMR)が握っていた。
記事内容は、プロレスの事、妙な噂、スポーツ紙からのガセネタの切り抜き等だった。
1994.10月 隔離クラスにて、文化祭での劇のシナリオを作成する者を決める為、学級会が開かれた。
「それでは、劇のシナリオ作りに立候補したい人は、手を上げてください。」
当然の様に、担任の声に答える者はいない。大抵の中学生は、面倒な役だと知っているからだ。
そこへ、「はい!」と元気良く声を出し、右手を上げる者がいた。ファルである。
周りの男子から、微かに笑い声が漏れた。
「あんたはダメ。 真面目にせんちゃけん。(=真面目にしないから)」
担任の無情な、そして的確な表現にファルは思いつく限りの言葉による抵抗をした。
周りの男子はにやにやしながら、女子はうんざりした顔でそのやりとりを聞いていた。
そこへ、「はーい」と低い声を出し、右手をふわりと上げる者がいた。予想通り、福田である。
「あんたもダメ。」
「じゃあ、僕がやります。」と福田が言った矢先の事であった。周りがどっと笑いに包まれた。
抵抗中のファルも笑ってしまった。
数分後、
「じゃあ、推薦で決めましょう。」
と、担任が言ったのを、2人の立候補者は聞く事となった。
寒くなりかけの10月、六時間目の学級会は、まだ始まったばかりだった…。
≪背景補足≫
これから、学級の代表が選出される際、同様のやりとりが繰り返されるようになった。
もちろんのこと、全て却下されてしまったのだが。
1994.9月 不思議な野菜屋さん現る。
HMRメンバーが学校から仲良く帰っていた時の事だった。
我々は、この辺では見かけない、一台のトラック兼移動式野菜屋を発見した。
別段気にする事も無く、通りすぎようとした我々だったが、
そこに、そのトラックに積まれたスピーカーからの宣伝文句が聞こえてきた。
「町内のみなさま〜、こちらは〜、新鮮な〜、野菜屋でぇ〜ございます。今日はみなさまに〜、
新鮮な、野菜ぃ〜、牛乳ぅ〜、 てゃめぁーご、を持って参りました。ご町内の・・・」
それを聞いた瞬間我々は、「なにぃっ!?」と叫んで勢い良く振り返った。
「何でタマゴの時だけテキサス生まれやねん!」 と全員でツッコむ我々をよそに、
そのトラックは、何も問題は無いかのように、我々の前から遠ざかっていったのだった・・・。
≪補足≫
その後も何度かその野菜屋を見たが、いつの時もタマゴは、てゃめぁーご、のままであった。
1994.10月 新聞のタイトル「図書新聞」を 「HMR新聞」 に変更。
本の紹介も一切排除し、純粋に 「笑える」 を追求する新聞にリニューアルさせた。
これが、HMRが完全に独立国家体制を形成した歴史的な第一歩となったのである。
≪背景補足≫
タイトル変更は、図書係女子の反発をHMRは黙殺し、強制執行された。
この事件により、HMRという私設団体の存在が広田っ子達に公表される事となった。
増刊号として、「菊地毅と書いてアサコサトルと読む!新聞(付録付き)」等がある。
1994.10月? 「寒い」という理由で、プロレス会場を変更。
吹き抜けの玄関から見える、校舎二階のちょっと広くなった廊下であった。
校舎内という事で、先生が通るたびに注意され、一時休止をやむをえない場所であったが、
隔離クラスの目の前にあったと言う事もあり、卒業までの会場として安住の地となった。
ちょうど良くプロレス中の画像が収録されていたので掲載しておく。(↓参照)
見えている教室は、噂の隔離クラス。
投げようとしているのが私だと思われる。
運悪く、他のHMRメンバーは写っておらず、
ジャージ姿のひー君の目線の先(左端)にいるようだ。
ちなみに、この画像は卒業アルバムに載った物で、
熱狂的なHMRファンによる広報活動だと思われる。
この頃は、他人の何かしらの視線は日常茶飯事で、
クスクスと笑い声が聞こえるのも少なくなかった。
これも、当時のHMRの人気ぶりが伺えるものである。
≪背景補足≫
注意する先生が、三沢(現在ノア所属)に似ており、その先生が通るたびにHMRメンバーは、
「スパルタンX」を口ずさんだり、三沢コールをしたりしていた。「みーさーわ!みーさーわ!」
先生の通過後は、エルボーの打ち合いが常だったのを記憶している。「ローリングエルボー!」
1994.11月 広田中学校文化発表会。
HMRメンバーの多数が所属する隔離クラスは、
「天使と悪魔の戦い」をモチーフとした劇で、
この劇を見た時の、私の疑問点&面白かった点は、
「何で福田が天使族の王様役で、ファルが天使役なの!?」
まず人格を見極めてから配役決めろ。と、ずっとツッコミいれてました。
しかし後日、この配役は、「セリフが少ない。」という事で、本人が希望したのもあるが、
担任と劇の係も、おとなしくしてくれればこれ幸いとばかりに、異議を唱える必要の無い、
お互いの利害関係が合致した都合の良い役であった事が判明。
これも、人望の成せる業である。
んで、この日の昼休み、隔離クラスの教室にて、
「あんなホンワカ劇じゃ、欲求不満じゃ。おい、劇やるぞ。」 というわけで、
HMR出演・演出による スペースアドリブオペラ 「黄金の翼」 を上映した。
口コミで集まった同級生に加え、下級生からも見学者が来るほどの盛況ぶりを見せ、
アドリブならではの突拍子も無い内容で、
≪背景補足≫
何故か悪魔側にマナブがいた。
1994.11月? 福田と遊んでいて、ファルが窓に激突。窓ガラスを破壊する。
二人は校長室に呼ばれました・・・。
―校長室にて
ファル 「福田から押されたにしろ、僕が割ったんです!だから、僕が弁償します!!」
ファルが身を乗り出すのを右手で制し、言い聞かせるように話す福田。
福田 「いや、俺が悪い。お前がケガするかもしれんやったっちゃけん、俺が弁償する。」
ファル 「いや、俺はケガしていない。だが窓ガラスは割ってしまった。だから、俺が弁償する。」
福田 「いや、原因を作ったのは俺だ。だから、俺が弁償する。」
互いに責任を取り合う二人。そんなやりとりを数分続けた後に、校長がその重い口を開いた…。
校長 「・・(一部省略)じゃあ、ガラス代の全額を、2人で折半して下さい。」
ファル 「(なんだとっ!?学校側の全額負担ではないのか!?
これまでのお涙頂戴の芝居は無に帰してしまうとでも言うのか!?)」
ファルは自分の行為(芝居)が無駄になってしまった事に素直に驚いた。
それでも、何とかして学校側に全額負担させる方法は無いものかと、頭をフル回転させていた。
その時だった。
・・・プチン。
この校長の提案に、福田がキレた。
怒りをあらわにした福田は、先程とは打って変わったドスを利かした太い声で声を発した。
福田 「・・・あ?全額?なんでや。」
となりに立っていたファルが凍りついた。
「(こいつマジギレしやがった。やばい!何するかわからんぞ!!(汗))」
福田暴れる→校長のズラ飛ぶ→もぉおぅ悩み無用→打ち明けてスッキリ→さよなら福田。
という光景が、頭の中で勝手に連想されてしまったファルは、
「全額ですね。わかりました!どうもすいませんでした!!」
と叫び、「なんで全額や。」と、まだ言っている福田の頭を無理やり下げさせ、
少々戸惑う校長の話を一通り聞き、校長室を後にした・・・。
≪背景補足≫
この後、学校側の好意により、「学校側が半額出す」という事で話は解決した。
1994.11月 日直が司会の帰りのHRにて、ファルと福田が、問題児である証拠をまた1つ増やした。
日直 「では、今日何か気付いた事があれば、発表して下さい。」
ファル 「はい! 異議あり!!」
日直 「!? ・・・ではどうぞ。」
福田 「異議あり!!」
ファル 「いーや、異議あり!!」
日直 「!? ・・・ヒロセ君、どうぞ。」
ファル 「オレ? それも異議あり!!」
福田 「異議あり!!」
この後も2人は、事ある毎に無茶で無駄な異議を唱え、日直を困惑させた。
これにより、ホームルームは延長となり、クラス全員が遅い帰宅となった。
周りが、早く帰らせろ、と本気でウンザリした出来事である。
≪背景補足≫
ファル別パターン∨ 福田別パターン∨
日直 「今の意見に何かありませんか?」 | 日直 「今の意見に何かありませんか?」
ファル「はい!反対尋問をさせて下さい!」 | 福田 「はーい。それは違うと思います。」
等がある。
1994.12月 我らがHMRの不定期刊行広報誌「HMR新聞」が、 出版禁止命令 を受けた。
図書係の女子が、掲示板のスペースが無くなってジャマだ、と担任に訴えた為であった。
担任は、図書の紹介をしていないので紙の無駄。やめなさい。とHMRに述べた。
HMR(図書係)は、ここぞとばかりに活動を開始した。
担任には盲点となる教卓の前面部、時には天井に新聞を貼り出すなどして対抗したのである。
その奇抜なアイデアにより、HMR新聞は益々人気を博し、卒業まで無事に不定期刊行され、
そして今に至るまで語り継がれる思い出となったのである。
1994.大晦日 ハウステンボスのカウントダウンにHMR+αメンバーで、出陣。
どう考えてもカウントダウンには早すぎる、16時集合と言う無謀な作戦でもあった。
それでも中学生の私達は、その若さゆえ8時間待機と言う事実も忘れ、普通に楽しんでた。
あ、ステージ上でリハーサル中の「DJ赤坂」に話し掛け、生の芸能人に一同興奮した。
このイベント、意外と楽しかったですよ。
1995.2月 高校受験。
1週間前まで勉強もしてなかったと思われるHMRメンバー、全員志望校合格。
全員公立で、ファルは工業系。マナブは商業系。残りの皆は同じ学校、へ進む事となった。
1995.2・3月 高校受験も一段落し、季節が春を感じさせるようになった頃、ある提案がHMRにあがった。
「園芸部を作ろう。」
言い出しっぺは誰か知らないが、中学最後の思い出作りとして、反対意見も出なかった。
そんな中学生のガキ達が、思いつきで作った園芸部のモットーは、
「園芸部の園芸部による園芸部の為の花作り」
HMR以外はこの聖域を楽しむ事はまかりならん、という自己中心的なものであった。
とりあえず問題は、「顧問は誰にするか?」 だったが、
「よし、あそこ歩いてるあのじいちゃん先生。あれが顧問や。」
と言って適当に選び、小さな自己満足を得て活動を開始した。
場所は、校舎の隅っこ。勝手に耕して、勝手に草取りして、勝手に種まいてた。
HMRの目論みを知らない通り掛かりの先生が、俺達が草取りしてるのを見て、
「えらいね〜」 と言ってくれた事が、今でも忘れられません。
≪背景補足≫
当然だが、花が咲く頃にはHMRメンバーは卒業しており、花は見れなかった。
最後の思い出作りにしては、”地道に努力” の地味なイベントであった。
このイベント、卒業式の時にはすっかり忘れてたような気がする。
1995.卒業式 無事、全員卒業。
「思い出」という言葉が似合わない福田は、卒業式15分後、速攻で帰った。
(ボタンは4.5個持って行かれたらしい。)
速攻で帰ったのは、
福田に片思いをしていたM田さんの 第2ボタン狩り から逃れたかったとの説もある。
(*注…M田さん=橋本真也のクローンで破壊王。得意技は、水面蹴りと上手投げ。
福田の気持ちもお構いなしに、猛烈なアピールを行なっていた。)
ファルは福田と帰った。
(ボタンは全て残った。もとい、守護した。通称・守護神)
ダイシとマナブも福田と帰った。
(ボタンの結果は不明。2人とも一つ無くなってたとの噂もある。)
ハンマーも福田と帰った。
(袖の部分を含め、全部ボタンが無くなり、名札まで持って行かれた。
何故かわからんが、好意を持っている奴が大勢いた。)
斎藤は、私が写真を撮ってあげました。→現物画像(別窓)
(ボタンを4個持って行かれ、ご満悦。写真はボタンを2個取られた時点のもの。)
私は、下級生の女子にボタンを贈呈してました。誰にあげたかは知りません。
だってそいつ、友達に頼んでたんだもん。だから、私は友達の顔しか知らないのである。
しかも、ボタンくれって言われたのは、その子からのみ。微妙に寂しかったです、はい。