≪中学2年生 ”若葉のころ”≫
1993.春 中学2年生に昇級。
私は、1年生の時も一緒だった斎藤とまた同じクラスになり、斎藤に本気で嫌がられた。
ハンマーも私と同じクラスになり、小2以来久しぶりに話すようになった。
別クラスでは、福田とファルが同クラスになったが、まだ二人の間に会話は無かった。
しかし、お互いに何か惹かれるものがあり、次第に興味を持っていったようだ。
他のクラスでは、ダイシとマナブが同じクラスに。この二人はこの頃の資料無し。
二人がクラスで何をしていたとかは良く知りません。このクラス地味だったし。
≪背景補足≫
私のクラスとファル達のクラスとダイシ達のクラスは、お互いにほとんど接点無し。
ハンマーとダイシ&マナブは、近くに住んでいた事と、同じ剣道部という事で仲が良かった。
マナブはもうすでに、先生相手に車を売っており、商才を如何無く発揮していた。
みんなまだおとなしかった。
1993.5月 初の「福田vsファル」が勃発。
まだ新しいクラスの中で、生徒が互いの友人関係を模索し合っていた5月。
例に漏れずにファルと福田も、「友達」と呼べるような関係では無く、
各々の友達と楽しく話していた時期の事だった・・・。
―美術の授業中、福田が突然挙手をした。
福田 「先生、前の人がウルサイです。」
まだ席替えが行われていない5月、名前順に並べられていた「広瀬・福田」という席順は、
無情にもこの出会いを引き起こしてしまった…。
≪背景補足≫
福田は、「自分より目立つ奴」「ウルサイ奴」が大嫌いであった。
ついでに言えば福田は、目立ちたがり屋なのだが、表に出さない奴だった。
この頃を振り返っての福田の一言。「おいより目立つ奴はつぶそうとしよった。」だそうだ。
ファルは、「(なんだこいつは!?)」と思ってたらしい。
この件が元となり、ファルが福田に色々とちょっかいを出す様になる。
1993.7月 私のクラスメートのタケシが、ハンマーと昼休みにプロレスをするようになり、
プロレス大好きだった福田、楽しい事大好きなファル、ハンマーと仲の良いダイシ、
が集まって、共に「プロレス」をやって毎日飽きもせずに遊ぶようになった。
これにより、現在のHMRメンバーが集結した、というわけである。
が、今まで良く話していた友達で無かったと言う事もあり、ギクシャクした関係でもあった。
≪背景補足≫
ファルの、ハンマーとの出会いは、話した事も無いのに「アキレス腱固め」を決められた事。
私は当たり障りの無い会話をして、この友達関係を模索。
プロレス会場は昼休みの砂場。午後の授業は、体と耳の穴の砂取りに追われ、授業放棄。
マナブはプロレスには参加せず、別の友達と「またやってる(クスクス)」と嘲笑していた。
1993.9月 プロレスの時に使うオリジナル技の開発が流行する。
この時、福田ボム、福ラッチ、トーテムポールクラッシュなどが開発され、
口に水を含んでの毒霧を、どれだけキレイに吐けるか、が一種のステータスとなっていた。
「いくぞー!いーち、にぃーい、さぁーん、ウィィィっっ!!」
のかけ声と共に、テキサスロングホーンを突き上げるのが流行ったのも、この頃である。
≪背景補足≫
この頃からメンバー各々が、「どのようにして目立つか」を意識するようになる。
1993.未明 福田、当時小学5年生だった実妹に対し、ジャーマンスープレックスホールドを敢行。
これにより、『福田は妹の肋骨を折った』というウワサが流れた。
当の福田本人は、「いや、少し妹がキレたくらいよ。」と、そのウワサを否定している。
1993.9月頃 2年生の必修イベント「宿泊訓練」が行われた。
二泊三日、公営の宿泊施設にて、集団行動、協調性の向上などを目的とする、と言ったものだ。
まあ、修学旅行の予習といった感じで、私は意外と楽しいイベントとして認識している。
しかし、ファルにとっては苦い思い出がこのイベントにはあった。
―就寝時間過ぎ、ファル、矢野、テツロウの3人は、宿泊訓練規約違反事項の、
「消灯時間無視」と「別の部屋に移動しておしゃべり」を行なっていた。
やはり、めったにない中学生の宿泊イベントと言う事で、、みんな興奮していたのだろう、
3人とその部屋のやつらは「見回りの先生」という危険も忘れ、おしゃべりを楽しんでいた。
が、運の悪い事に、3人の内の矢野が、担任(すえっち@体育教師@二十代の溢れるパワー)
に見つかり、矢野は廊下にて厳しくお叱りを受ける羽目となってしまった・・・。
発見されなかったファルとテツロウは、どうするべきか考えていた。
いや、厳密に言えば、2人のこれからの行動は最初から決まっていた。
「矢野は俺達の友達だ。矢野だけを犠牲に出来るはずが無い。
共に違反を犯した者として、3人全員でお叱りを受けようではないか。」
2人は意を決して、自ら、お叱りの場である廊下へ歩を進めた・・・。
とまあ、ここまではどこにでもあるようなお話。
が、ここで、「やっぱ、ファルばい(笑)」「かわいそうに(笑)」と言うような出来事が、
ファルがファルである故に起こってしまったのである。
すえっちは体育教師であり、生徒たちの中でもフランクに話せる人気存在であったのだが、
切れると手が出る、という勇ましすぎる面を持った先生でもあった。
やはりその時も、決まりを破った、と言う事でぶち切れてしまったのであろう、
すえっちは、まずファルの前に立ち、ファルのほっぺたを思いっきり引っ叩いた。
ファルは、一時的な痛みに耐え、ぐっと黙っていた。
そして悲劇は起こった。
返す刀でファルのほっぺたを再び引っ叩くすえっち。
も一つ返す刀でファルのほっぺたを引っ叩くすえっち。
ファルは「(マジかよ!?)」と思いつつ、教育的指導の痛みに耐えていた。
この後も何度か、ファルはほっぺたを引っ叩かれた。
そして、すえっちがようやくファルの前から動き、テツロウの前へと移動して来た。
テツロウは、「(あいたー、おいもあがん叩かれんばとかねぇ。きつかばい・・・。)」
と、覚悟した。その時だった、すえっちがドスを効かせた声で、こう言った。
すえっち 「お前は殴らんけん。よう考えろ!」
「(えっ!?)」ファルは耳を疑った。多分、矢野もテツロウも驚いていただろう、
それだけ言ってすえっちは、「はよ寝らんばぞ!」と、3人を部屋に押しこんだ。
殴られたのは、ファル一人。
部屋に戻った矢野とテツロウは、腹を抱えて笑っていた・・・。
「普段の行いがモノを言う。」 といった教訓めいたお話です。
≪背景補足≫
現在のファルいわく 「絶対にオーガを考慮しての不当差別だ。」
(*注…オーガ=テツロウの父親。かたぎの人間だが、Vシネマの言葉が良く似合う。)
1993.秋 砂場のプロレス会場が、「砂がウザイ」という理由で、移動する事に。
選ばれたのは、体育館へと続く通路。下はコンクリで危険だったが、丁度良い高さの壁があり、
トップロープからの攻撃が出来る!の魅力に負け、全員賛成と言う形になった。
1993.冬 下がコンクリート。たる所以にて、初のプロレス事故発生。
ハンマーがタケシをアルゼンチンバックブリーカーからのデスバレーボムに移行という大技で、
タケシが脳天を強打。病院行きか!?と思われたが、流血も無く、大きなたんこぶを見て、
それ以上誰も心配せずに、皆が大笑いしていた事は記憶に残っている。
今思えば、中学生の体力とテンションの高さに、少々驚き気味である。
≪背景補足≫
後にハンマーは、2年生のクラス文集にて、その時の事を、
「自分のプロレスの才能を見出した事に感涙。」 と、こう表現している。
1994.正月 まだ学校だけの付き合いだったので、集まりは特に無し。