≪26歳〜 ”心の旅”≫

2005.2月         大学6年生だった福田が、やっと卒業。
                佐世保で就職も決まるが、研修のため、一年間兵庫県に移り住むことが決定。
                これにより福田は、長崎⇔兵庫という遠距離恋愛を余儀無くされる事となった。
2005.4月         斎藤家でネコを飼い始める。
                2月に生まれた子猫を親戚から譲り受けたもので、
                『田所サントスゆず彦sun』と命名し、首輪に名前を書き込んだのだが、
                「やっぱ長い」と名付け親が言い出し、結局は田所と短縮して呼んでいた。
2005.8月         斎藤家のアイドルと化していた田所に、ダイシがメロメロになる。
                もはや斎藤に会いに行くというより、田所に会いに行く、といった様子であった。
2005.11月        ダイシの80日間ぶらり旅事件勃発。
                「京都は良いなぁ」
                のメッセージと共に、どこかの寺の写メが斎藤宛てで突然送られてくる。
                何してるの?と斎藤は返信したが、返事は来ず、携帯の電源も切れていた。
                それが三日ほど続いた為、不安に思った我々は緊急会議を開催。
                兵庫の福田とハンマーにも事情を話し、何かあったら連絡してもらうようにして、
                広島のファル先導の元、関西ダイシ包囲網を展開した。
                が、その数日後、私の元にダイシから電話が。
                「何してるんだお前」との私の問いにダイシは、
                「じゃあ、お土産は何が良いんだ!」と逆ギレしたあげく、
                「秋葉原最高だぁ〜」
                という名言を残し、それじゃ、とお茶を濁したまま電話を切った。
                我々の関西包囲網をあざけ笑うかのようなこのダイシの行動に、一同は憤慨。
                帰ってきた時にはどうしてくれようかと話が盛り上がるが、
                結局、ファルの『捨て置けいっ!』という鶴の一声で事件は終息を迎えた。

                ≪後日≫
                ダイシは悪びれた様子も無く、のこのこと年明けに帰ってきた。
                どうやらコミケ好きの知人の所へ身を寄せていたらしく、
                ダイシから私へのお土産は、範馬オーガと英霊セイバーが戦う同人誌であった。
2005.クリスマス前後  クリスマスも直前にせまったある日、
                斎藤家のアイドル、『田所サントスゆず彦sun』が車に轢かれて死亡。
                我が子を亡くした悲しみにより、斎藤がちょっとおかしくなった。

                それを皮切りに、その他のメンバーもクリスマスの時期を切なく過ごしており、
                何やってんだオレ達・・・と、少し泣きたくなる。

                ≪詳しくはこちら≫
                ⇒マンガ『COLORFULL』第1話 (別窓)
2005.12月末      広島旅行〜2回目!の巻。
                この中のエピソードの一つが長文になったので、下に抜粋。
                メイドカフェ初体験!(ドラクエ風)の巻。
2006.3月下旬      福田が兵庫より一年間の研修を終えて帰還。
                全てを失って帰ってきた福田は、地元の寂れた飲み屋街を練り歩き始める。
2006.4月         いつのまにか、ダイシが専門学校生になっていた。
                それと同時にダイシは、HMRブログ『スペースセントラル伊藤』を開設。
                この辺からダイシ関連の話題が目立ち始める事となる。

                ≪補足≫
                タイトルになっている『スペースセントラル伊藤』は、ファルが命名したものである。
                ついでに言えば、伊藤は学生時代の友人の名前を取ったものだが、
                連絡先が不明のため、当の本人はこのブログの存在を知らない。
2006.4月下旬      18歳の女の子に、ダイシが恋をした。
                恋愛経験値が皆無だったダイシは、我々に支援を要請。
                ファルと斎藤と私が、自分の事のように真面目に相談に乗った。
2006.5月         ダイシの提案により、ネットラジオに手を出す事を決意。
                その名も 『HMRのやっつけラジオ』
                全員初心者のため、はっきり言ってレベルが低く、独りよがりなものであったが、
                まあ、段々と要領も得るだろうと言い聞かせて、垂れ流していく事を決定した。
2006.6月         ダイシの恋が実った。
                渦中のダイシを斎藤家に呼び出して、それに至るまでの過程を根掘り葉掘り聞き出し、
                照れるダイシを怒鳴りつつ、斎藤は悔し涙を流していた。
                そんな斎藤と、「未成年保護法」を理由に警察に突き出そうという私を、
                ダイシは「いや〜はっはっは」と笑うばかりで、終始ゴキゲンな姿勢を崩さなかった。
                いつか笑顔で右腕を折ってやろうと思う。

                でもまあ、何はともあれ頑張ってください。お幸せに。
2006.7月30日      ダイシの誕生日。
                この日、ダイシとその彼女はアーケードにてデートをした。
                2人は午前中から映画を観たのちに昼食。
                それからウインドウショッピングなどして楽しんでいたのだが、
                そんな2人の前に、何故か偶然を装った福田が登場。
                福田は戸惑うダイシと初対面の彼女への挨拶もそこそこに、
                突然、ダイシの彼女に自分が作詞作曲した曲を多数収録したCDをプレゼント。
                これで初対面の彼女とも打ち解けたとでも思ったのか、これまた突然に、
                「俺も一緒に付いてっていい?」 と発言。
                「ダメ、帰れ。」 とダイシに断られたのだが、
                「え、なんで?」 と抵抗。
                この攻防が五分ほど続いた後、結局、福田はふてくされて帰って行った。

                マイペース福田。
                HMRメンバーの中でもまだまだ謎の多い人物である。
2006.お盆         ハンマーが彼女と共に帰省。
                というわけで、9年ぶりに旧ハンマー家跡地にて野外バーベキューを開催。
                人生初のラム肉に感動したり、斎藤が福田の車を石垣にぶつけたり、
                炭火を消す為に手のひらでハイテンションバケツリレーしたり、
                福田が持参したテントを庭に設営しようと四隅にクサビを打ち込んだものの、
                テントを形作る要となる支柱が無い事が判明し、福田をさらし首にしたり、
                「もういいじゃん。でっかい寝袋だと思えば。」 と言いながら、
                テントの生地を体にくるませている斎藤がいたりと、大変にぎやかであった。
2006.9.4        斎藤の誕生日。
                その日の23時頃、私の元に斎藤から電話が。

                 私  「もしもし。何?」
                 斎藤 「おい、俺に何か言う事は無いのか?」
                 私  「・・・・・いや、特に何も。」
                 斎藤 「本当に何も無いか? ほら、今ならまだ間に合うぞ? ほら!」
                 私  「・・・・・・やっぱり何も無いわぁ。あっはっは。」
                 斎藤 「ばかぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

                以後20分間、同様のやりとりが続いたものの、何の進展も無く会話は終了した。
2006.11月下旬     HMRが冬のコミケに何らかの作品を委託出品する事に。

                委託先が、ネットラジオつながりのロットンジャムという事で、
                ラジオの過去放送を詰め込んだCDになるかと思われたが、
                色んな意味で流石に無理だ!! と、迅速かつ冷静に判断した我々HMRは、
                ラジオ内で流していた福田ソングを収めたCDアルバム製作を決定したのであった。

                ≪裏話≫
                郵送する事を考えると、この時点で締め切りまで約3週間弱。
                なのに、CDのジャケットをゼロから作れと素人の私に言い放ったダイシに対して、
                軽く殺意を抱いちゃったのは、私だけの秘密です。
2006.12月6日     CDのジャケットがほぼ出来上がる。
                首謀者であるダイシに見せたところ、
                 「お、なかなか良いじゃないか。はっはっは。良くやった、褒めてやる。」
                とのありがたいお言葉を頂き、恐悦至極な気分になった。
2006.12月中旬     ベストアルバム 「smelliest room」 が完成。
                HMRとしての作品は、中学の時の 『HMR新聞』 以来であり、
                なんとも感慨深い物となった。

                ちなみに、完成品は全て委託先に郵送した為、
                HMRメンバーは誰一人としてこれを所有しておらず、
                梱包作業を行ったダイシと福田以外にいたっては、
                完成品を見てもいないという始末だったりする。
2006.12月20日    バイオハザード4を斎藤にやらせてみた。

                そしたら、そりゃぁもう怖がること怖がること。
                その怖がりようったら、本当に27歳かと疑われる程であった。
                序盤で恐る恐る犬を助けたまでは良かったものの、
                次のイベントでは音響にビビリ、声にビビリ、振動にビビリ、
                チェーンソーが現れた時点でコントローラーを投げ捨ててしまった。
                そして、毛布に完全に隠れながら、私にこう言い放った。

                 斎藤 「もうやだ! PON、お前がやって。」
                 私   「は? なんでwwwちょwwwwwおまwwwwwww」
                 斎藤 「だってマジで怖いっちゃもん!!」 (←原文まま)

                ・・・・・正直、引きました。

                ≪後日談≫
                数日後、何も無かったかのように、アシュリーのパンチラを熱く語る斎藤がいた。
                斎藤いわく、何故あの時あんなに怖かったのか自分にも解らないそうだ。
2006.大晦日       大晦日なので、21時頃、食料と飲み物を持って斎藤家に行ってみた。
                福田とマナブは来ないみたいだったが、
                ダイシはラジオをUPしてから来ると言うので、それまで斎藤と暇つぶしトーク。
                痴漢男のネットドラマを観て批判を並び立てたり、
                なかなかやって来ないダイシの悪口を言い合ったり、
                CDがコミケで完売した事を聞き、驚きつつ喜んだりしていた。
                結局ダイシが来ないまま迎えた年越しの瞬間は、
                私は痴漢男のwebコミックサイトを読みながら、
                斎藤は、「今年の垢を洗い流すんだ・・・」と、シャワーを浴びていた。
                10代の時には考えられない、かなり微妙なテンションで迎えた謹賀新年であったが、
                2人ともそんな細事は気にする事も無く、なかなかやって来ないダイシを罵りながら、
                普段となんら変わらない会話や、くだらない事ばっかりやって時間を潰した。

                年明け午前2時、
                ようやく登場したダイシを待っていたのは、
                しばしの沈黙と、「よし、帰れ。」 という斎藤の言葉であった。
 UP!!
2007.元旦        そんな斎藤の言葉を、過剰なハイテンションで押し返したダイシ。
                一時はこのまま解散かとも思われた斎藤部屋も、何とか落ち着きを取り戻し、
                このまま男3人のんびりモードになるかと思われたのだが、
                遅刻の理由は、ラジオ編集が長引いたのではなく、彼女と電話していたからと判明。
                しかも、ラジオ編集は早々に完了していた事も相まって、
                私と斎藤の2人は、寂しさと悲しさと悔しさで大激昂。
                斎藤は泣き叫びつつダイシに罵倒を浴びせ、私はそれを慰めながら皮肉を言う、
                にもかかわらず、ニヤニヤ笑顔で 「しょうがないじゃないか」 としか言わないダイシ。
                まさに悪循環。

                結局30分ほど攻防は続き、それからはのんびり談笑し、昼前には解散した。
                いやはや、何とも醜悪な幕開けである。
 UP!!
2007.1月前後      この頃、中国人女性の多い工場で働いていたファルネーゼ木枯。
                言葉の壁や中国人特有の傍若無人ぶりに四苦八苦しながらも、何とか同僚と仲良くやっていた。
                そんなとある日の事、ファルは高熱を伴う結構な風邪を引いてしまった。
                だが、そこは小さな工場だった事や、ファルの気質でもある高い責任感もあり、それでも出勤。
                午前中をフラフラになりながら何とか勤め上げ、お昼休みに突入と相成った。
                昼食を摂る気分もしなかったファルは、ベンチに腰掛けて薬を飲み、しばしの休憩。
                青ざめた顔をして、ただ壁にもたれて座っているだけのファル。
                そこへ、同僚である少し仲の良い中国人女性が通りかかった。
                そしてそんなファルを見て、片言の日本語でこう言った。

                 「ファルさんドウシタノ? 顔、気持チ悪イヨ?

                いやはや、言葉の違いというのは面白いものである。

                ≪この後の会話≫
                ファル 「ぶっw え? 俺の顔、そんなに気持ち悪い?」
                同僚  「ウン、スゴク気持チ悪イヨ」
                ファル 「ぶっw いや〜やっぱそうかぁ〜。俺もそうかとは思ってたんだけどw」
                同僚  「これから(仕事)ダイジョウブ?」
                ファル 「あぁ大丈夫大丈夫w これから(の人生)も何とかやっていくよw」
                同僚  「ソレナライイケド。チョット心配ダッタカラネ」
                ファル 「ありがとう、心配してくれてw」
 UP!!
2007.1月下旬      斎藤家に遊びに行ったら、斎藤が購入していた年末ジャンボ宝くじを発見。
                当選確認も全くしていないという事だったので、
                急遽、『第一回 チキチキ 深夜に男2人だけ? 魅惑の宝くじ当選大発表会!』が執り行われた。

                 斎藤 「男らしくまずは1等からー! 96組のぉー!」
                 私  「サー! ノーっサーっ!!」
                 斎藤 「番号もまだ言ってないのに何たるザマだぁー! では、組違いぃー! 前後賞ぉー!!」
                 私  「サー! ノーっサーっ!!」
                 斎藤 「ちきしょぉぉっ! 次ぃっ! 2等いくぞぉぉっ!!」
                 私  「サー! イエッサー!!」

                と、意外に盛り上がる。(↑表現に多少誇張アリ)

                結局、その勢いで年賀ハガキの当選発表までやってしまい、
                カス当たりが2枚ほど出ただけではあったが、楽しい思い出である。

 UP!!
2007.1月?       マイペース福田、周りの皆が驚く発言をする。

                 『やっぱ、愛よ』

                何かあったのだろうか。
 UP!!
2007.2月        斎藤家に、2代目アイドルが御降臨。
                田所の跡目を継ぐ者として不甲斐ない事の無いように、そして、
                田所との思い出を楽しかったと思えるようになればとの意味を込めて、
                『スプーン』 と名付けられる。

                 斎藤  「だよねぇ〜、スプーン♪」
                      『にゃー』
                 斎藤  「うひょー! かわいかぁ〜! ね?かわいかろ?」
                 私   「・・・・・ハイ、ソウデスネ」
                 ダイシ 「いや、田所の方が可愛いと思う」
                 斎藤  「てめぇっ! この野郎! 言っていい事と悪い事が(ry !
                       田所は確かに可愛かったかもしれんけども、コイツにだって良い所が(ry !
                       田所だって俺だってコイツが来てくれて喜ん(ry !
                       田所にはしてやれなかった事を俺はコイツに色々と(ry !
                       た、田所と、お、俺、は・・・た・・・・・・・・・たどころぉぉ〜っ!(突っ伏し泣き)」

                斎藤のリハビリ猫生活の始まりである。

                ≪補足≫
                スプーンは田所よりもお馬鹿。
                暴れまくり鳴きまくりテーブルの上に乗りまくりで、いつも斎藤に叱られている。(ガチで)
 UP!!
2007.4月上旬      HMRで花見に行こう!の巻。

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